「その木戸を通って」(山本周五郎)

異世界へ抜けるゲート、木戸

「その木戸を通って」(山本周五郎)
(「日本文学100年の名作第5巻」)
 新潮文庫

家老家の娘との
縁談が決まっている平松正四郎。
彼の家にある日突然、記憶喪失の
若い娘ふさが訪ねてきた。
ふさは誠実であり、人柄もよく、
正四郎は次第に
彼女に惹かれていく。
ついには縁談を断り、
正四郎はふさと結ばれる…。

もう一つ、山本周五郎の短編です。
私はこの作品が大好きです。

めでたし、めでたし、
とはいきませんでした。
この謎の女性・ふさは、突如、
失われた記憶が戻る(らしい)のです。

一度目は結婚してまもなく。
ある夜半、夢遊病者のように、
「お寝間から、こちらへ出て、
 ここが廊下になっていて、
 廊下のここに、杉戸があって、
 それから」

二度目は子どもが生まれてから。
夏の夜に月見をしている最中、
またしても
「これが笹の道で、
 そしてこの向こうに、
 木戸があって…」

そして三度目、
正四郎が登城しているあいだに、
ふさはついに姿を消してしまいます。
正四郎と娘を残して。

私は山本周五郎の作品を
多くは読んでいないのですが、
本作品には他の山本作品にはない
大きな特徴があります。
それは
「ファンタジー小説」であるということ。
人情ものでも時代劇でもありません。
美しい幻想のような物語です。

ファンタジーには
異世界へ抜けるゲートが必要です。
本作品の場合、
それが「木戸」なのです。
現実には存在せず、
ふさだけに見えている「木戸」。
ふさが暮らしている「現在」と、
かつて生きていた「過去」を
つなぐ「木戸」。
そこを通り抜けていったのですから、
いくら捜索しても
姿を見つけることはできないのです。

自分にとってかけがえのないものを、
抗いようのない理由によって
失ってしまう。
しかしいつかまた
まみえることができるという確信が、
正四郎にはあるのです。
こういう小説の読後感を、
私は勝手に「爽やかな喪失感」と
呼んでいます。
「しかしふさは帰って来る、
 と彼は思った。
 いつかは必ず思い出して
 帰るだろう、この木戸を通って。」

日本文学も、こうした作品が
もっと生まれていたら、
読書離れなど
起きなかったのではないかと
思ってしまいます。
大人の皆さんにお薦めです。

(2020.2.14)

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